耶麻郡地理図
耶麻郡(陸奥国耶麻郡之一)
「倭名鈔」此郡の下に分会津郡と註あれば、もと会津郡と一郡なりしを、後日橋川の北を割て置れしと見ゆれども、何れの頃なると詳ならず、仁明天皇承和七年三月庚辰、陸奥国?磨郡大領外八位上勲八等丈部人磨戸一煙賜姓上毛野陸奥公と「続日本後記」に見ゆれば是より前の事なるべし、此郡は東西北三方皆山にて、其間に村落あれば郡名是に依りて起りしならん、されば「倭名鈔」にも山の字を以て註せしにや、慶徳組新宮熊野宮暦応四年の神器にも山郡と彫附あり、?磨・耶麻は音を假れるのみにて、其實は山の字の假字なるべし、応永の頃の文書には訛て那摩橋と稱するあり、「拾芥抄」「節川集」も此謬を承けしと見えて共に那麻に作れり、(那麻郡と稱せしことは五目組熱塩村示現寺永和二年の寄附状を始とす)東は安達郡の接し東嶽石筵峠揚枝峠を界とす、西は越後国蒲原郡に隣り、楢木峠高森山を界とす、南は会津郡河沼郡に並び日橋川を界とす、北は出羽国置賜郡に連り赤崩山、檜原峠を界とす、又戌亥の方は出羽置賜郡越後国蒲原郡に隣り飯豊山を界とす、丑寅の方は信夫郡出羽国置賜郡に隣り吾妻山の峯土湯峠を界とす、辰巳の方は安積郡に連り高森山陸坂を界とし、猪苗代湖の半を限れり、、、、東西北に高山連り南の大河流れ、中央に広平の地多し其田は下の上其畠は下の上なり、塩川小沼熊倉小田付小荒井慶徳五目七組は平衍にて田圃多く、気候大抵会津郡平衍の諸組に同じ、木曾大谷吉田三組は山中にて花候農務平衍の地よりは稍遅し、川東川西二組は磐梯吾妻の諸山に倚り猪苗代湖に臨み、地勢高く風烈く九月の末に初雪ふり、月の半まで消残り梅花漸く綻ぶ、桜花は四月の初に開く農業の時候は上の諸組より二十餘日の差あり習俗は全く会津郡に同じ、清明の日川西組見禰村磐椅神社に五穀豊熟の祭あり、、、、
郷名「倭名鈔」に出る所
津部、量部、分會津、分會津郡は郷名にあらず其説前に出ず、日量
今稱する所四
百木 村三十六、小布瀬 村二十八、野尻 村十四、
奥川 村二十、
荘名 荘五
更級 村五十三 川西組磨上原に更級神社あり、荘名是に因て起りしにや詳ならず、月輪 村十九 昔何の頃にか猪苗代湖の水暴に洶湧し二荘の村落多く陥て湖となりしと云傳ふ、岩崎 村九、加納 村三十六 府下實相寺所有、康安元年佐原十郎高明が寄附状に、此荘の名始て見えたり、新宮 村九十七 慶徳組新宮村熊野宮康安二年の鰐口に奥州会津新宮荘と附あり。
組名 組十二
川東組 村三十三、川西組 村三十八、塩川組 村三十四、
小沼組 村十八、熊倉組 村十七、小田付組 村十六、小荒井組 村十八
五眼組 村二十六、 慶徳組 村十八 木曾組 村二十三、
大谷組組 村十七  吉田組 村二十八