河沼郡地理図
河沼郡(陸奥国河沼郡之一)
此郡は延喜式三十五郡の中に見えず、其後大沼郡と共に会津郡より分れしにや、「倭名鈔」の細註に今分大沼河沼二郡となすと見えたり、然れども「拾芥抄」三十六郡「節用集」五十四郡の中には此郡なし、「節用集」に載たる稲我は此郡の蜷川荘なるもしるべからず、寛文中までは誤て稲河郡と稱し、会津四郡の一とせり、東北は共に耶麻郡に隣り日橋川を限とす、西は越後国蒲原郡に連り、九才坂鳥居峠を界とす、南は会津大沼二郡に続く、、、南北に山あり、北を大河流れ中央に平衍の地多し、其田は下の上、其畠は下の上なり代田・及川・青津・坂下組組は広平に住し、田圃多く、気候会津郡平衍の組組に同じ、牛澤・野澤二組は山中にて、農務も上の諸組よりは稍遅く、立夏の前後を花候とす、習俗は会津郡に載する所に異なる者なし、
荘名 荘二
河沼 村六十四 及川組勝常村勝常寺大永七年、葦名盛舜寄附状に河沼之荘笠之面と云ことあり、
蜷川 村八十二 佐原十郎左衛門尉義連の孫に蜷川景義あり、其人の所領にて、蜷川荘と稱せしにや、康安二年左衛門尉基清が府下実相寺の寄附状に此荘名見れたり、
組名 組二
代田組 村四十、及川組 村二十四、青津組 村二十六、坂下組 村二十八、
牛澤組 村四十、野澤組 村四十、
村名 村二百