越後国蒲原郡小川荘地理図
越後国蒲原郡小川荘(外篇越後国蒲原郡之一)
小川荘は蒲原郡の東端にあり、昔越後城四郎長茂本郡を割て陸奥国耶麻郡恵日寺の衆頭乗丹坊に與ふ、是より会津領に属せりと云、荘名の起りを傳ず、天正十八年豊臣家蒲生氏郷を会津に封ぜられし時、地勢会津領の山嶽に連し、往古より会津領に属せるにより氏郷に賜り、其後上杉・蒲生・加藤氏を歴当家封に就くに至て亦封内に属すること旧の如し、東は陸奥国河沼郡に隣り、鳥居峠・高陽山を界とし、西は公領本郡の諸村に交はり、南は陸奥国大沼郡に続き、鉾峠・猩々森・山馬・尾瀧山・赤柴山を界とし、北は米沢領出羽国置賜郡及本郡黒川領新発田領に連り、飯豊山・内蔵川・境川を限とす、、、此地山崚しく谷深く、道路牽嶮坂多し、飯豊・高森・御神楽・駒嶽・次狩(すかり)等の高山四面に峙ち、揚川の長流其中を流れ土地漆杉に宣く漆蝋を産す、上品なり、村里皆重山の間にあり、暑は遅くして弱く寒は早くして強し、大凡十月より雪積り、三四月の頃まで消えつきず、深山の村々は八月末より雪降り寒気甚強し、田圃多からず、苅野畑とて山間の草木を焼、其跡に栗・稈・蕎麦・麻等を植、冬春の際熊・猿・羚羊を猟す、津川町及上條組野中村太田村等の左右のみ平地にて田圃あり、養水皆渓流を潅ぐ、因て実り快からず、又旱魃の患あり、其田は下の下、其畠は下の上なり、津川町は本荘の中央にて上下の河船此に集り、商売の便よく農業のみならず、市店を開き交易を以て生産とす、其習俗は陸奥国会津郡に載る所と大抵異ならざれば此に略しぬ、
組名 組四
海道組 村十(此内二箇村は陸奥国河沼郡なり)、鹿瀬組(かのせ) 村九、
上條組 村三十、下條組 村二十七、
津川町(諸組に隷せず)