大沼郡地理図
大沼郡(陸奥国大沼郡之一)
「延喜式」陸奥国三十五郡の中に此郡を載せず。「神名帳」に伊佐須美神社を会津郡の下に出す、其頃迄は会津郡の内なりしと見ゆ、其後分れて一郡となりにしや、「倭名鈔」に始て此郡を載て三十六郡とし、細籍に見えたる初なり、高田組竹原村に大沼と云沼あり、又大沼明神の社あり、郡名此に因れりと言傳ふ、「節用集」五十四郡の中に大沼あり、此郡を誤れるなるべし、東南は共に会津郡に隣り、西は会津郡、越後国蒲原郡に交はり、馬尾瀧谷間・猩猩森を界とす、北は河沼郡蒲原郡に続き高陽峯・蒲萄倉山・松坂峠を界とす、又戌亥の方は蒲原郡に並び鉾峠を界とす、、、、此郡は平地少く山多し、民居大抵山間に住す、其田は中の下其畠は下の上なり、気候は大抵会津郡に同じ橋爪・南青木・高田・中荒井の組々は、郡の東端平衍の地にて田圃少からず、鶴沼・宮川其土を流れ養水の便あり、芒種の前後に苗を植へ、寒露の頃に晩稲を収む、永井野・東野岐・冑の組々は明神嶽・博士山・神籠嶽の麓に倚り山間に住し、上の諸組よりは花候農務稍遅く、寒暑遅速あり瀧谷・野尻・大石・大鹽の組組は四方に高山峙ち、山中の一境なり、因て俗に金山谷と稱す、田少く畑多し、平衍の地よりは東作は十余日の差あれども、秋収は大抵時を同す寒気強く、雪は九月下旬より降り一丈余に至り、四月中まで残雪あり、四月中旬の頃に桜花開く、凡此郡の習俗会津郡に異なる者なし
郷名 今稱する所四
尾岐 村四十、金山 村三十一、野尻 村九、河口 村二十四
組名 組十
橋爪組村二十七此内十三箇村会津郡なり、高田組村三十二、水井野組村八、
東屋岐組村十一、冑組村二十一、瀧谷組村十五、大谷組村十六、
野尻組村九、大石組村九、大鹽組村十一此内四箇村会津郡なり