181、府内城(大分県大分市荷揚町) 別名荷揚城と呼ばれ、この城は豊後の守護職を世襲していた大友氏が代々本拠地としており、永禄五年(1562)大友宗麟が居城を豊後臼杵城に移るまで続いた。慶長二年(1597)、石田三成の妹婿福原直高が入封して今の府内城を築いたが、直高改易後、竹中半兵衛の子重利が入封、築城工事を完成させた。日根野氏の後、万治元年(1658)、豊後高松の大給(おぎゅう)松平氏が入封して、明治を迎えています。