103 伏見城





103、伏見城(京都府京都市伏見区)
別名指月城とも呼ばれ、文禄元年(1592)、豊臣秀吉の隠居所として築城が目的だったといわれている。この城も慶長元年(1596)の大地震で崩壊、直ちに再建を命じ、完成の翌年慶長三年、秀吉が没し、家康が直ちに入城した。慶長五年、関が原合戦の前哨戦として、西軍石田勢に攻められ(戦国合戦年表133、伏見城の戦い)、落城した。元和元年(1615)、豊臣氏滅亡、江戸幕府の基礎が固った元和九年(1623)、三代将軍家光が、この城の廃城を決めた。