141 姫路城






141、姫路城(兵庫県姫路市本町)
別名白鷺城と呼ばれ、播磨の守護職赤松則村の子貞範が、正平年中に築城したといわれており、代々小寺氏が城代となった。戦国時代、小寺氏家老黒田氏が三代にわたり在城し、天正八年(1580)、羽柴秀吉が西国攻めの根拠地とした。この黒田氏三代目が黒田孝高で秀吉の軍師として活躍した。関が原合戦の後、徳川家康は池田輝政を城主にして、西国の抑えのため城を大修築させ、元和三年(1617)、本多忠政が入封して今の姫路城を完成させた。この城の縄張りは、左回りで曲輪、・堀が配置されており、江戸城が右回りの螺旋状の築城と対称の造りとなっている。幕末の藩主は酒井氏で、城門の一部を毀し、十五万両の献金でようやく恭順を許されています。