37 一乗谷城






37 一乗谷城(福井県福井市城戸ノ内町)
文明三年(1471),朝倉孝景が九頭竜川沿いの黒丸城から一乗谷に移り、館を築いたといわれ、この一乗谷は美濃街道が通り三国湊に続く水陸交通の要衝に地で、五代義景の時全盛期を迎えるが、元亀元年(1570)からの織田信長抗争の結果、義景は一乗谷から大野に逃れそこで自害した。図の取出Tを本丸、主郭を二の丸とも考えられるが、中央の郭は四囲を完全に防御して、最も独立しているため主郭としました。