172 今治城






172、今治城(愛媛県今治市通町)
別名吹揚城と呼ばれ、慶長九年(1604)、藤堂高虎が完成させたが、藤堂氏が伊勢津城に移封になり、寛永十二年(1635)、松山城主松平定行弟定房が今治城主として入封、松山藩の支藩として明治を迎えた。この今治城は、讃岐高松城、豊前中津城とともに三大水城の一つで、三重の堀に海水をいれた平城として有名です。