104 伊勢亀山城





104、伊勢亀山城(三重県亀山市本丸町)
別名粉蝶城とも呼ばれ、文永元年(1264)、関実忠が築城したといわれており、関氏代々の居城であったが、天正十八年、織田信孝の家臣で、後秀吉に仕え、小田原の合戦(戦国合戦127)で戦功のあった岡本宗憲によって築城されたが、関が原合戦で西軍に味方して、戦後自刃した。ここ亀山は東海道鈴鹿峠の要衝にあり、江戸初期には幾度となく城主が替ったが、延享元年(1744)から石川氏が入封して明治まで続いた。