105 岸和田城





105、岸和田城(大阪府岸和田市岸城町)
別名猪伏山千亀利城と呼ばれ、建武元年(1334)、楠木正成が和泉国の守護となり、甥の和田高家を代官として派遣して築城、堺の和田宗家を「上の和田」、岸に近い和田を「岸和田」と呼んだようです。天正十三年(1585)羽柴秀吉の紀州根来寺攻め(戦国合戦118)の後、伯父小出秀政を城主として城郭が整備された。戦国時代から次々と城主が替ったが、ここが地理的に要衝の地であり廃城にならず、寛永十七年(1640)から岡部氏が城主として明治まで続いた。