34、盛岡城(岩手県盛岡市内丸)
三戸城主南部信直が慶長三年(1598)ごろ着工、完成は孫重直の時代寛永十年(1633)といわれている。盛岡市内中心部の高台に、城址の南に沿って流れる中津川と岩手の大河北上川との合流地点にそれぞれ自然の堀として築かれています。当初、不来方城と言ったこの城は、やがて「盛りあがり栄える岡」という願いをこめて盛岡城と改められたといいます。天正十九年(1591)九戸政実の乱(戦国合戦年表131)後、南部信直の領地は、西の津軽地方を大浦為信(津軽氏祖)によって失い、南方へ勢力を伸ばし、不来方(こずかた)に新城を築いた。盛岡中に学んだ石川啄木が「不来方のお城の草に寝ころびて、空に吸はれし十五の心」と詠んでいます。