15 向羽黒山城 19−1 岩崎城  





15、向羽黒山城(福島県大沼郡本郷町)
別名弁天山城と呼ばれ、永禄四年(1561)、葦名修理大夫盛氏が築城し居住した。天正三年(1575)、その子盛興が早世して、盛氏は再び黒川城に戻り、この城を廃した。この城は、会津若松の側面を強化し黒川城の弱点を補い、南方日光街道方面からの敵の侵入を防止し、さらに越後方面からの侵入にその側面を攻撃し、敵の黒川城攻撃を阻止できる軍事上の重要拠点に構築されています。

19−1 岩崎城(福島県大沼郡会津本郷町)
一名向羽黒山城、巌館ともよばれ、会津の戦国大名葦名氏全盛期の居城で、永禄十一年(1568)に葦名盛氏が築城、本城黒川城を嫡子盛興に譲り、この城を隠居所としたが、天正三年(1575)盛興が早世し、葦名盛氏は本城の黒川城に戻ったため岩崎城は廃城となったといわれています。