58 名古屋城





58、名古屋城(愛知県名古屋市中区)
関ヶ原合戦(戦国合戦年表134)、徳川家康は、大坂城の豊臣家への備えとして、慶長十五年(1610)、東海道の要所の名古屋に城を築きました。この名古屋には、もともと今川氏により築かれた那古野城あり、この城を織田信長の父、信秀が奪い居城とした。のちに信長が清洲城に移り、那古野城は廃城となった。名古屋藩(尾張)最後の藩主慶勝は、会津松平容保の兄で、長州戦争では、征長総督で出兵したが、鳥羽伏見の戦いの後、「青松葉事件」として有名な藩内の佐幕派を一挙に死罪にして、幕藩体制と決別しています