6、中村城(福島県相馬市中村)
相馬中村城は相馬市中村西側にある丘陵の端を利用した平城で、巨大な深水濠が廻り東南北の三方は低地で西方は西山に連なり川多く、東には松川浦の湖沼地帯があり、大変堅固な城であったと思われる。慶長年中相馬義胤及び利胤の頃には楢小高城に居り、慶長十六年(1611)中村に移ったといわれているが、相馬系図に義胤の父盛胤は慶長六年中村で死去した由伝いており、これより先に中村城は既に構築されていたとおもわれる。この相馬中村城は北四粁で伊達仙台領と接し、駒嶺黒木等天正十七年伊達氏に侵略され、その後回復の機会なく維新を迎えた。甲子夜話に「相馬家は伊達氏仙台領の界に墓所あり戦争の時此山を一人も越えぬ様に守るべしと先祖の遺訓にて代々の葬地にせらるる由に候」云々と記述しており、常に臨戦準備の態勢に有ったようです。