5 二本松城





5、二本松城(福島県二本松市)
二本松は、福島県を三分けの浜通り、会津若松に挟まれた中央地域の中通りにある丹羽十万石の旧城下町です、城址は町の北側にある丘陵の背後の城山にあります。この城山は山頂が畠山氏の古城址で、山麓に丹羽氏の城が築かれました。この古城は奥州探題畠山満泰が応永年間(1394〜1427)に築いたといわれています。天正十三年、城主畠山義継が伊達政宗に討たれ、伊達勢と佐竹連合軍とが安達郡本宮で戦ったのが「人取橋の戦い」(戦国合戦年表116)で、政宗の再度の攻撃で畠山義継の子国王丸は会津に逃れ名門畠山氏は滅びた。二本松は会津を領した蒲生氏、上杉氏の支配地となったが、江戸時代は松下氏、加藤氏につづいて丹羽氏が寛永二十年(1643)に入城、以来維新まで在城して戊辰戦争で新政府軍に徹底抗戦し落城した、この時の二本松少年隊の討死は会津の白虎隊より悲壮なもので有ったと言われています。また正保年間に幕府に提出した城下絵図を基として全国の城下絵図を綴ったと言われている多くの「主図合結記」の中で、二本松城として描かれている城内図のほとんどが若松城のもので、原本の間違いのまま写本が広まったと思われます。