102 二条城





102、二条城(京都府京都市中京区)
関が原合戦後、徳川家康が上洛の際の宿所として慶長六年(1601)に築城したのが始まりで、今の規模になったのは、三代将軍の寛永年間初めといわれています。御所近くにこの城を造営して、その力を天下に誇示したものと思われます。この城も寛延三年(1750)、落雷で焼失崩壊したが、その後十四代将軍家茂上洛のため、文久三年、再築されたが、慶応三年(1867)、二条城大広間にて大政奉還を奏上、明治政府が最初に接収したのがこの城であった。