53 小田原城





53、小田原城(神奈川県小田原市城内)
源頼朝挙兵に軍功のあった相模の土肥実平の子、小早川遠平の居城といわれ、応永年間に
駿河の大森氏に奪われ、さらに伊豆の伊勢宗端(北条早雲)が堀越御所の戦い(戦国合戦年表10)で勝利し、関東進出の足かがりとした。明応年間にこの城を奪い、その後、北条氏代々の居城となっています。天正十八年、豊臣秀吉は「惣無事令」違反として、北条氏を小田原城に攻めた。(戦国合戦年表127)その後、小田原城は徳川家康の支配化におかれ、家臣の大久保氏(大久保彦左衛門同族)が城主となり、関東防御の要衝としての役割を担った。明治維新の時、官軍側に就いたが、藩内の佐幕派により箱根の関所を明渡すなどの失態により減封されています。