59 岡崎城





59、岡崎城(愛知県岡崎市康生町)
別名竜ヶ城と呼ばれ、享徳年中に明大寺に西郷氏が築城したのが始まりで、その後、岡崎松平氏を安城松平氏が倒し、今の岡崎城に入城したといわれています。天文十一年(1542)、この城で生まれた家康は、永禄三年桶狭間の戦いで(戦国合戦年表55)で、今川義元が敗死し、家康は岡崎城主として三河に戻り、元亀元年(1570)、家康は本拠地を遠江浜松城に移して、嫡男信康を岡崎城主とした。家康の関東移封により、この城は秀吉家臣、田中吉政が岡崎城主となり、大規模な拡張改修を行った。関ヶ原後この城は、徳川譜代大名が城主となっており、幕末の藩主は、徳川四天王の一人本多忠勝の子孫、讃岐高松藩から本多忠民がきて、老中も勤めています。