57 大垣城





57、大垣城(岐阜県大垣市郭町)
別名巨鹿城とよばれ、この城の築城は土岐氏一族の宮川氏とも、竹腰尚綱ともいわれており定かではない。今の城郭は豊臣時代に伊東盛景・盛正親子によって築かれた。天正十二年(1584)、大垣城主、池田恒興が長久手の戦い(戦国合戦年表114)で討死して、その子輝政が城主となった。関ヶ原の戦いでは、東軍水野勝成りに攻められ落城している。寛永十一年(1634)、戸田氏鉄が十万石で入封して、以後戸田氏で明治に至っています。