20、21 仙台城








20、21、仙台城(宮城県仙台市城址公園)
伊達政宗が慶長七年(1603)に築城、伊達氏累代の居城となる。城地は維新後壊されたが、肥前名護屋城から移した大手門のほか隅櫓が残された。この城は千体城、千代城、或は青葉城とのいい、その起源は明らかではありませんが、天安年中慈覚大師が青葉山(青羽)で千体仏を造り、故に千体と称したともいいます。のち島津陸奥守の居城としたが其の封を西国に移し、後結城七郎朝光が居んだともいわれている。頼朝の奥州征伐の後、千葉五郎胤道に宮城名取を下賜り、国分の荘青葉城に住し子孫居城とした、永禄年中(1558〜1570)は国分能登守宗政がここに住し、初めて国分の氏を称したが後盛氏のときに亡びた。仙台城地の北は広瀬川より、南は本城南側の谷まで、東は広瀬川に及び西は裏林に至る広大な地域で東西約1500米、南北約1700米あり、当城は平山城で主城を山上に置き、本丸、二ノ丸、三ノ丸、外郭御裏林で構成されています。21図は正保城絵図を参考にしてイラストしました。