22、白石城(宮城県白石市益岡)
白石城は、宮城県の南端で福島県に接する白石の中心、小高い丘の上にあり、築城は後三年の役で戦功のあった苅田氏がこの地を賜り城を築いたのが始まりと云われています。本城は一名益岡城と云い平城で、城址は新舘山丘陵の北方へ伸びた尾根の末端を利用したもので東南の丘が西北に延び、更に北方に延びており、これらの連丘が城を囲むように巡らされて、北方の一部を除いて四周低地で見晴らし良好であり、城南方の要害となっています。その後、屋代氏、蒲生氏、甘糟清長(上杉氏家臣)が入城、慶長五年家康の上杉攻めに呼応し、伊達勢が白石城を攻落した。関ヶ原の戦いの後伊達政宗、苅田郡を家康から与えられ、慶長七年重臣片倉小十郎景綱を入城させ、仙台藩南の守りの拠点とした。この城は慶応四年、戊辰戦争の戦いで、奥羽二十五藩と北越六藩が同盟を結んだ所です。