77、新発田城(新発田市大手町)
別名菖蒲城、浮舟城と呼ばれ、鎌倉幕府設立に戦功佐々木盛綱一族の新発田氏の築城と言われています、享禄三年(1530)、上条定憲の乱では、新発田綱貞は守護・上杉定実方として守護代・長尾為景と戦う。天正六年(1578)からの、御館の乱では新発田尾張守長敦は終始景勝方に味方する。長敦は病没後、弟の五十公野治長が新発田城に入り、新発田因幡守重家と称して跡を継ぐ。上杉景勝が会津若松城に移り、溝口伯耆守秀勝が新発田城に任じられ、その後は代々溝口氏の居城となる。戊辰戦争では、官軍の先鋒として庄内・米沢などの幕府軍と戦う。明治六年(1873)の廃城令により新発田城は破却される。