51、信玄舘(山梨県甲府市古府中町) 「人は城、人は石垣、人は堀」は甲陽軍鑑の一節ですが、別名躑躅ヶ崎館は、武田信虎が永正十六年(1519)、石和より移り、相川扇状地に館を造り、甲府の城下町を築いたといわれており、事有る時は、背後の要害山城(積翠寺)で楯籠ったといわれています。天正三年(1575)、勝頼は三河長篠で織田信長、徳川家康に大敗(戦国合戦年表83)、天正九年(1581)、韮崎の新府城に移り、この館を放棄しています。