19−7 須賀川城






19−7 須賀川城(福島県須賀川市本町)
鎌倉公方持氏の時奥州磐瀬郡を二階堂参河守に恩賜あり、須賀川城を築いたのが始めで、代官を置いたが、謀反があり文安五年(1448)、二階堂為氏、磐瀬郡に下向して一族の二階堂治部を討取りこの須賀川城を大改修したといわれています。愛宕山の城は、詰めの城として存在したと思われます。天正十七年(1589)、摺上原合戦の葦名氏滅亡後、伊達政宗に攻められ落城して二階堂氏は滅びました。