75、高田城






75、高田城(上越市本城町)
別名鮫ヶ城と呼ばれ、慶長三年(1598)春日山城主上杉景勝が会津に転封に伴い、越前北ノ庄城主堀秀治が入封し、福島城の築城に着手するが、慶長七年(1602)、秀治没し、嫡男の堀忠俊が家督を相続するが、慶長十五年(1610)御家取り潰しとなり、徳川家康の六男松平忠輝が信濃川中島から入封となる。忠輝は築城に着手、慶長十九年(1614)、福島城を廃して高田城を松平忠輝の居城として築く。