142 高松城






142、高松城(岡山県岡山市高松)
天正三年(1575)、毛利勢備中松山の三村氏が、備前の宇喜田氏に備えて備中高松に城を築城したが、三村氏が織田方に内通して毛利に叛き、毛利氏に攻められ滅亡、毛利方の清水宗治が城主となった。天正十年(1582)、織田信長は羽柴秀吉に中国毛利勢を攻めさせ、高松城を囲んだ(戦国合戦年表100)。高松城は深田や沼に囲まれた平城で、秀吉はこの城を水攻めにして兵糧を絶った。本能寺の変(戦国合戦年表101)を知った秀吉は、清水宗治自刃などの条件で講和させ、上方に転進、山崎で明智光秀を打ち破った(戦国合戦年表102)。