17 棚倉城





17 棚倉城(福島県東白川郡棚倉町)
一名亀ヶ城といい、戦国時代は、棚倉は常陸佐竹氏の支配下にあったが、関ヶ原の合戦の後、慶長八年(1602)、筑後から立花宗茂が入封した。その後、元和八年(1622)常陸国から丹羽長秀の子長重が入封し、寛永二年(1625)、福島中通りの久慈川河岸にこの城を築城した。江戸時代は、問題があり失脚した大名が入封する国としてのイメージが強く、最後の城主は、開港問題で責任を取らされた阿部氏が陸奥白河から入封して、幕末を迎えています。