14、田嶋城(福島県南会津郡田島町)
田嶋城主長沼氏は、鎌倉右大将の時小山悪五郎家政結城長沼より南山へ来往し、子孫代々住居したといわれており(新編会津風土記会津旧跡編)、この地は会津盆地の南にあり下野国と境を接し、日光街道を経て南方に通じ、西方山口を過ぎ、伊南川を西北行すれば越後に、南に行けば上州沼田に通じるため、交通の要衝の地で、上方への主要街道は奥州街道であったが、それだけに閉鎖される事が考えられ、若松より田島を経て上方に通じる日光街道は会津若松にとって特に重要であった。天正十七年(1589)、摺上原合戦のあと長沼盛秀は伊達勢として、伊北・伊南の山ノ内勢・河原田勢を攻めた。(山ノ内天正記)(伊南軍記)(伊南合戦記)蒲生氏時代に城代が入り改修工事が行われた様ですが、後の一国一城令で廃城となりました。