1、2,3,4 若松城




1、2,3,4、若松城(福島県会津若松市追手町)
会津若松市は松平氏二十八万石の旧城下町です。会津若松城は鶴ヶ城の名で知られるが、この城は、葦名氏七代光盛が至徳元年(1384)黒川城を築いたといわれている。天正十七年(1589)伊達政宗が葦名義広を摺上原で破り(戦国合戦年表126)(奥羽永慶軍記)(会津四家合考)、会津黒川城に入るが翌年豊臣秀吉により、蒲生氏郷が入封、黒川城を大改修して鶴ヶ城と改称、城下を若松と称した。その後上杉氏、再度蒲生氏、加藤氏と代わり寛永二十年(1643)保科正之が入城、三代正容のとき松平家を称し、九代容保のとき戊辰戦争で落城しました。
2、蒲生時代の若松城、3、正保年間の若松城、正保若松城図は、他の藩のものは明治政府に引き継がれましたが、若松城絵図は行方不明となっていましたが、昭和になって、日光から会津に行く途中の民家で発見され、戊辰戦争で新政府軍が会津攻めのため、持出したのではないかと云われています。4、明治時代初めの若松城