36 山形城





36、山形城(山形県山形市霞城町)
別名霞ヶ城とよばれ、正平年中、出羽国司として足利氏一族の斯波兼頼が、最上郷金井庄に城郭を築き、最上氏を称し、地名も山形と改めたといわれています。慶長五年(1600)、上杉勢直江兼続の猛攻(戦国合戦年表137)に耐えて、戦功により最上義光は、出羽最大の大名になり、城を拡張整備した。その後、義光の孫義俊の時に、家臣の争いにより改易となり、最上氏は没落した。戊辰戦争では、藩主親子は京都で恭順の意を表し、国元の山形藩は列藩同盟側で戦いました。