山ノ内大和守俊光四男 山ノ内俊安権太輔 ・亨徳二年癸酉五月二日生天文元年壬辰九月六日八十歳死秋輝嶺寧院殿菊庭冷範大居士と号妻は長尾家直江上総守兼詮女を嫁娵る 去は権太輔俊安は横田中丸城主山ノ内大和守俊光四男也亨禄四年辛卯三月十八日に始て大沼郡金山庄上野郷沼沢舘山と云処に城を築丸山城と号付同十一月三日入城す天時七十九歳城要害東は真闇沢大木茂駒形山大森と云大山の続き路も無く深谷也南は大高森より屏風岩山の神の高山嶺険阻にして錐先の如し走獣蹤(あと)を絶す北は鞍掛山に嶺続岨不通不行之高嶺也只西一方陸地に続き九々折の細道麓より十一町登る頂の笠に清水有り又城の東西三十二間南北十九間二ノ丸東西十二間南北二十二間あり常に居住す処は城より西北に当て余り一里廻る大沼有り此の沼を眼下にして三方鉄岩に同固め有り是を的山平と云是に住す又山入円満寺を同年連来り城の南上ノ沢山の神ノ沢出口に寺を建置其後天文十一年壬辰四月家老田崎加賀守と云者願い依て領地の内出ヶ原と云処に此寺を移す則安楽院福満坊円満寺と号守佛小長観音の像を送る当住恵性法印又天文四年乙未六月田沢薬王寺を沼沢に移し改勝通院萬力坊薬師寺と号時住僧雲祐訪印 山ノ内俊興(俊安男) ・彦次郎文明十四年壬寅四月十五日生父俊安と同入城す時五十歳天文九年庚子八月十五日五十九歳死雲林院昌興儀円大居士と号妻は葦名氏中ノ目治部太夫盛定女但百五十貫を領す 女(俊興女) ・永正十三年丙子五月廿八日生一族山ノ内兵部太夫舜通に嫁す 山ノ内政家(俊興男) ・若狭守永正十六年己卯五月朔日生元亀二年辛未八月廿日五十三歳死縁萩院冷山一風大居士と号但弟に分地す依て百二十貫文を領 山ノ内氏信(俊興男) ・左馬丞若名竹五郎家系別に有西方鴫城主 山ノ内政清(政家男) ・沼沢出雲守若名権兵衛天文八年己亥八月九日生天正二年甲戌五月六日三十六歳死 塵□殿和光道広大居士と号薬価寺葬妻は黒川家中吉川民部勝光女 女(政家女) ・天文八年己亥十二月廿九日生別腹也金上河内介葦名盛信に嫁津川城主 山ノ内政勝(政家男) ・天文十一年壬寅三月廿五日生元亀元年庚午二本松合戦に葦名盛氏に加勢し討死す時二十九歳 女(政家女) ・天文十二年癸卯五月一日生一族西方善次郎山ノ内俊秋に嫁す 女(政清女) ・天文二十三年甲寅十二月一日生弘治二年丙辰三月五日三歳死 女(政清女) ・弘治二年丙辰二月三日生一族川口治部左衛門山ノ内俊満に嫁 沼沢出雲守政重(政清男) ・若名権太夫直通と云永禄元年戊午三月一日生妻は慶徳直義妹也 女(政重女) ・天正十四年丙戌九月十九日生 彦太郎(政重男) ・天正十八年庚寅二月廿八日常州江戸崎にて生 |