伊南柳川城主河原田近江守盛光家系之事



人皇五十六代清和天皇弟六皇子中務卿正四位上貞純親王の御子六孫皇経基公・源氏大祖
左衛門佐兼武蔵守源朝臣満政(経基三男)
淡路守政朝(満政長男)
・駿河守、前刑部大輔忠重
近江源氏弾正義房(是は近江守□信二男□義弟婿に来る)
佐々木近江大膳俊光(義房子)
佐々木源太左衛門盛国(俊光婿)
・是迄五代近江国小室城に住
・但満政より盛国迄五代滋賀郡栗本郡又美濃国石津郡大野郡合四郡を領す但盛国は佐々木右馬頭成経の二男也経方の弟)
左近将監光盛(盛国三男)
・永長元年丙子下総相馬豊田結城三郡を領し結城城に住是より結城を家名とす
結城三郎左衛門光信(光盛子但小山四郎藤原行光に養子と成)
文治元年乙巳四月遠江国を賜り浜松城に住政光改豊田郡は瀧口三郎山ノ内経俊に賜る
結城左七郎朝光(光信名跡)
・実権右大将頼朝公長男幼年より養子にす結城の城主と云未詳、是は小山下野大掾藤原政光の三男也
結城中務少輔朝俊(朝光男)
・曰結城銃後に朝晴と云
結城因幡守頼嗣(朝光男)
・祖父結城浜松に住す亦白川住前大蔵少輔朝広と云子孫別
川原田近江守盛光(朝光男)
・前寒河四郎左衛門時光と号、川原田氏の祖下総国相馬郡川原田城に住是より子孫川原田を家名とす
・去は文治五年己酉鎌倉大将軍頼朝公より奥州会津郡の内又越後魚治郡の内を賜り酉九月会津下向す則伊南久川と云処を城地とし城を築く石岩深谷従へ鳥も難翔松柏上白雲の中に入南は本町古町道場の里巡続たる高山走る獣も跡を絶る西北は広野深田にて馬の足可立様も無く三□の流大河を抱隘路嶮岨恰もこう(山偏に盾)函の固に超たり去れは万夫も進て不能究竟の要害なり則此の城を久河の城と名付盛光は仁平二年壬申十一月十五日生三十八歳にて入国す建保五年丁丑十月十日六十六歳死前近州勇誉院殿盛光大信士と号す又建保三年乙亥十月城を柳川城と改是は久川と云事はきうせんと云凶名有を以て改名すと云又建久二年辛亥浄土宗照国寺に建る
寒川三郎左衛門尉秀□(盛光男)子孫別
河原田五郎左衛門尉秀光(盛光男)
・建久七年丙辰十一月三日生弘安二年己卯六月七日八十四歳死一照良誉院殿秀光大信士と号後越前守盛政と改
杉岸右京進顕信(盛光男)
・杉山家系、顕信子杉山守右京保信子式部景信子矢部遍信子太郎左衛門子次郎兵衛子
帯刀義景子因幡其子兵庫子因幡盛憲若名源内弟與八
・但景信一度上州に住又杉岸村に還る于時一ノ宮援抜鉾大明神を勅請め一ノ宮援鉾明神の祠建鎮守と為す是より村を宮沢村と改是弘安二年己卯也
河原田式部太輔盛信(秀光男)
・嘉禎三年丁酉二月廿一日生元享元年辛酉正月七日七十七歳死
・一基堅誉院盛信大信士と号弘安二年古町に万福寺を建
芳賀大炊助勝房(秀光男)
・仁治元年庚子正月廿八日生小沼と処に住家系左に記但家臣芳賀大膳婿に成
濱野治部左衛門保房(秀光男)
・宝治二年戊申四月七日生家系左に記濱野と云所に住子孫家名とす
馬場六郎左衛門光房(秀光男)
・寛元三年乙巳十月二日生家系左に記源三位頼政後胤馬場淡路守婿に成
女(顕信女)
・建長四年壬子十月七日生家臣白沢内匠助に嫁す
河原田弾正重則(盛信男)
・弘安三年庚辰八月廿九日生応安元年戊申二月三日生九十歳死
・冷嶺法誉院現香重則大信士と号
河原田源助重通(盛信男重則弟)
・是は芳賀大膳太夫高貞の婿になり家系別福
河原田刑部太夫重信(重則男)
・元享三年癸亥正月五日生応永十七年庚寅八月九日生八十九歳死
・伯秋一風棟誉院殿重信入道大高上座と号
佐々木三郎太夫盛秀(重則男)
・嘉暦元年丙寅十二月廿七日生家系左に記
・家臣佐々木権太夫婿に成る
河原田右近将監重房(重信男)
・至徳元年甲子九月二日生文明五年癸巳三月三日生九十歳死
・常光将誉院殿重房禅人大居士と号
女(重房女)
・明徳元年庚午六月二日生家臣木伏藤馬に嫁す
河原田左近太夫重直(重房男)
・応永元年甲戌十月廿日生明徳九年庚申八月廿五日百七歳死
・勇将応誉院殿光照寺入道老正大信士と号
青柳近江守盛俊(重房男)
・長禄三年己卯十月□日生青柳に住子孫家名とす家系左に記
河原田刑部丞盛貞(重房男)
・家系別に有
右馬亮河原田盛治(重直男)
・文明十一年己亥八月九日生享禄元年戊子三月十一日五十歳死
・叙勢淳誉院殿俊西寺入道草庵大上座と号す
白沢左馬丞兼詮(重直男)
・文明十五年癸卯十二月五日生白沢に住
女(重直女)
・長禄元年丁未八月廿三日生葦名家中冨田常陸介に嫁す
小塩右近進盛純(重直男)
・小塩住
河原田荒次郎盛信(盛治男)
・文亀元年辛酉九月廿七日生永禄七年甲子六十四歳長尾輝虎に加勢して信州小川にて討死す武討陳誉院殿亡雅大信士と号
河原田荒太郎盛豊(盛信男)
・天文七年戊戌四月二日生永禄七年甲子二十七歳父と同討死す
・早山冷雲勇誉豊嫌信士と号
佐野遠六盛一(盛治男)
・文亀三年癸亥四月廿五日生天文廿二年癸丑二月二日五十一歳死
・義山美粧直誉院殿盛一居士と号但若年の時下野国佐野修理亮田原氏綱の婿に成然るに兄盛信父子討死故又伊南に返る依て河原田の家督を継く又宗綱の二女に小田原北条氏政弟氏忠を婿に取り佐衛門佐氏忠と云又先妻死後妻は田嶋長沼時政女也
伊南源助光盛(盛治男)
・永正二年乙丑六月四日生伊南を家名とす家系左に記
河原田右近太夫盛頼(盛一男)
・大永二年壬午三月廿日生天正五年丁丑七月二日五十六歳死母は佐野氏女
・源弘信誉院殿大□宗秋大居士と号
長沼源蔵常一(盛一男)
・大永七年丁亥六月十四日田嶋にて生母方を家名とす又越後国上田庄中嶋に住す
河原田治部大輔盛次(盛頼男)
・天文十年辛丑二月十五日生天正十八年庚寅三月十五日大豆渡にて討死す五十歳
・中□亡誉院殿常号信士と号妻は横田山ノ内舜通女
世良田伊織時任(盛頼男)
・天文十七年戊申九月九日生家臣世良田舎人助婿に成家系左に記
女(盛次女)
元亀二年辛未六月十日生
子五郎(盛次男)
・天正八年庚辰八月一日生同十八年十一歳下野国大渡に退成長の後徳河家に仕河原田内膳正と云

宇佐八幡宮ユ建久八年丁巳盛光建立同春日住吉同断也同成林寺同断


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