横田山ノ内本系図



横田・山ノ内本系図について





横田・山ノ内本系図のうち、同一符号で示したものが時代はともかく名前が一致するもので、横田系図の本来の成立ちに深い関係があるとおもわれる。「横田系譜」は、応永十年(1403)篠河管領足利満直(満貞)の奥州下向に従って、大沼郡を拝領し、大沼郡横田に城を築いて住とある。横田系図・山内本系図とも経俊の子は六名であるが、まったく名が異なる。山ノ内横田系譜、会津四家合全ともそれぞれ問題があり、その系図をそのまま信じる事は出来ない、この時代の史料が無く何系統の山ノ内氏が会津に入部したか謎である。


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