家紋の話U(長倉追罰記) 江戸時代に流行した「紋ずくし」のはしりとなった「長倉追罰記」は、同類本に「長倉状」「羽継原合戦記」があります。この幕紋羅列の方法を真似たものに、幸若舞曲の「夜討曾我」や、一席ほとんど旗馬印の羅列で終わる明治の講談師、神田伯山さんの「味方ヶ原の偵察(ものみ)」などがあります。前回「家紋の話T」では「我等が家、山ノ内の家の紋」の記載がある「夜討曾我」を紹介しましたが、中世足利幕府時代の幕紋の記載の多さではこの「長倉追罰記」が群を抜いています。長倉追罰記は、永享七年(1435)、足利幕府が常陸佐竹の郡長倉遠江守を追罰した戦記物語で「長倉追罰記」はその文中に、参加した全国諸将の宿陣の紋幕の記述があり、江戸期以前の家紋を知る上で大変貴重な作品といわれています。「長倉追罰記」は著者も成立年代も不明ですが、丹羽基二氏はその著書「家紋百話」の中で、現在見られない家紋「御手洗」「俎に真名箸」や「作り名字」の文言などからこの合戦記は、かなり古い作品と推測されています。しかし「長倉追罰記」は、長倉城の城攻めを記した「長倉状」を下敷にして寄手の諸将の幕紋を列挙するために後世に作られたとも云われており、「長倉状」には家紋名は全く記されていません。「長倉追罰記」は続群書類従、改定史籍収覧に記載がありますが、本編は続群書類従に拠りました。この羽継原合戦の事は、「永享後記」(別記百四)にも記載があります。 長倉追罰記 かつするときんは。胡越もこんていとなる。隔つるときんは。肝胆も疎遠となる。ましてやいはん末の世は。闘諍けんこの敵味方。君臣父子のあらそひ。とんしんちのはかりことを。いちようのうちにめくらし。しんさん□四のかちまけを。千里の外に得るとかや。抑比は。永享七年乙卯の六月下旬の事なるに。常州佐竹の郡。長倉遠江守御追罰として。御所の御旗進発し。岩松右馬頭持國。大手の大将承り。八月中旬にはせむかふ。茂木の郷に着陣す。同かれか要害に馳向て。六千余騎にて張陣。かの籠城のありさま。四方切て。東西南北に対すへき山もなし。前は深谷。後は又岳峨々と聳たり。東に山川漲流。西には渓水をたゝへたり、是を用水に用る。日本無双の城と見へたり。先大手に向て大将の御陣。鎌倉殿御勢。其次に大将岩松殿。公方勢引率。野田。徳河。佐々木。梶原。簗田(程)野をはしめとして。すきまもなくつゝき。左は山内殿。那和。前橋。金山。足利。佐貫。佐野を初めとして。常州一國同幕をうちつゝき。右は扇谷殿。江戸。品川。河越。松山。ふかやをはじめとして。武州一揆も打続。東は那須の一党。其次海上。油井。大須賀。相馬。総州一揆張陣。西は又小田。結城。宇都宮。相続て陣をはる。北は小山薬師寺。佐野小太郎。高橋傍士塚陣屋をならへてひしと打。大手搦手入替々々攻戦といへ共。終に堅固に持かため。同年十月廿八日結城宇都宮相続。籌(はかりごと)をいはく(維幕か)の中に廻し。長倉遠江守開陣畢(おわる)。彼の遠江守。名を日本に上。誉を八州に振。此時某打めくり。次第不同にうちなかすまくのもんをそかそへける。御所の陣かとをほしくて。梢の冬のなか空に桐のまんまく二引。御一家もみなこれ同し。竹に雀は上杉殿御両家。九ともへは長尾か紋。水色に桔梗は土岐の紋。斎藤かなてしこ。鹿は富樫之助。伊勢國司北畠殿のわりひし。大内介かからひし。甲斐武田とわかさの守護は武田ひし。半月に丸ひしは興津左衛門。越前の織田と由佐の河内守か瓜の紋。秋元も是を打。朝倉かみつもつかう。飛騨國司姉小路殿は日光月光。月に九えうは千葉之介。八えうは上総介。三引両は三浦之介。小山は左巴也。朝比奈も是同し。但遠江の朝比奈はけんひし也。宇都宮は右巴なり。行方岡部も是を打。永井と那波は。三星に一文字にて。昔の因幡守広元か末葉毛利の一家にて。一品と云字の表体也。三文字松河は赤松と小笠原。四つ目結は佐々木判官。一六目結は本間の四郎。海老名は庵に瓜のもん也。松に鶴は高井左衛門。さんきにさるは洲西かもん。午の尾かへふねつる。楠浦加月にほし。極楽寺が水車。三本杉は狩野介。但たかの羽を打事も有。山中かさかきふし。めひきかこは松田かもん。葛西はかしは。大石の源左衛門はいてうの木。五ほん筋は結城七郎。但ともへを打事も有。永楽の銭は三河國水野か紋。中條はさゝの丸あしなし。すはま小田の大輔。しゝにほたんは多田の三郎。萩の矢も是をうつかふら矢は。武蔵國の住人太田源次郎也。十六葉の菊のもんは野田福王かもん也。團に菊は児玉たう。梁田はあほひ。わちかひは高家のもん。たてつなは二階堂。同六郷も是を打。しゆろの丸は富士の大宮司。きほたんは杉かもん。内藤備前かりうこにてまり。楠薬師寺が菊水。小山の薬師寺かともえの紋。久下は一番と云文字。あけはのてうは伊勢守ひろなりも是を打。まひさきは御櫛のもん。北条殿三うろこ。同横井も是を打。大極入道は巴のもん。緒方佐伯も是同し。神保か藤の丸。椎名かをもたか。大戸羽尾か飛つはめ。十文字は島津左馬頭。一文字伊東六郎。鷹の羽は菊地もん。熊野鈴木は稲の丸に榊也。とひなり鱸はまな板にまなはし。三河鈴木は藤の丸。大すなかしは泉安田。三本からかさ名越の紋。小もんの皮は秩父殿。かりかねは安倍との。八つほしは飯塚。すみをしきに三文字は伊予の國の河野の一党。備前こしまは品の字。駿河小島は八の字。下総の境はともへ。是は千葉のそうとかや。さゝりんとうは石川。もつかうは熊谷。車は伊勢の外宮の宮方榊原が紋也。鳥居のもんは。八幡の神職。宮崎の法印か紋也。七星は望月。梶の葉は諏訪のほうり。三たうしは皆岐の八郎。宮原も是を打。矢はつくるまは服部。松に月は天野藤内。帆かけ舟は熱田大宮司。山城かすなかし。水にかりは小串五郎。粟飯原かかやくのもん。ひしつるは南部かもん。庵のうちの二頭のまひ鶴は。天智天皇の後胤葛山備中守。御所も是を打。扇に月の書たるは常陸の佐竹かもん也。地黒菱は板垣。松皮に釘貫は阿波の三好かもん也。一宮は日雲也。左巴は下枝の紋。まひ違鴈は櫛置のもん。根引松は常葉のもん。下條は梶の葉。折野は木瓜。坂西は丸のうちにまつかはのもん也。山中は日扇。溝口は井桁。但三葉かしはを打事も有。高畠は違かふら矢。松の尾は丸の中にまん字。二木はちきりを打。松岡は瓜のもん也。赤澤は松皮に十文字。遠州の小笠原松皮菱に水落。九曜星は標葉也。山邊。西牧は梶の葉を打。犬甘平瀬島は一党甃後聴其外。幕の敷々当世はやる國々の作り名字の幕つくしうてほうたひに立ならう。能々みれは長月の秋の末葉のをき。すゝき尾はな。かるかや。をみなめし。野分の風に打なひき時雨や露にくちはてゝ。ふゆの野陣のまくそろへ。中々難盡筆 (続群書類従巻第六百十四合戦部四十四) 注1 「長倉追罰記」文中の幕紋一覧(夜討曾我と同じく、家紋は紋幕などから進歩したものと都合よく考え、代表紋や想定紋を記載しました) 注2 巴の右左について 注3 味方ヶ原の偵察について 文中の幕紋一覧
参考図書
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